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| 英語題名 | Django, Kill...If You Live, Shoot! |
| 監督 | Giulio Questi |
| 脚本 | Franco Arcalli, Guilio Questi |
| 撮影 | Franco Delli Colli |
| 音楽 | Ivan Vandor |
| 出演者 | Tomas Milian, Ray Lovelock, Piero Lulli, Milo Quesada, Roberto Camardiel, Frank Brana |
| 【ストーリー】 メキシコ人と白人の混血である「男」(トーマス・ミリアン)は、ホークス(ピエロ・ルリ)の強盗団に加わって砂金の輸送部隊を襲い、大量の黄金を奪う。だがメキシコ人に分け前を与える気のないホークス一味に裏切りの銃弾を浴びる。瀕死のところを二人のインディアンに救われた「男」は、純金の弾丸を拳銃に込めホークスを追う。ホークス一味は、たどり着いた町で馬や食料を買おうとするが、強盗であることを見破られ、町民の攻撃に全滅。一人残ったホークスの前に現れた「男」は、「死んだはずだ」と動揺するホークスの体に何発も弾丸を撃ち込む。町の実力者ソロ(ロベルト・カマルディエル)は黄金のありかを聞き出そうと、医者にホークスの手術をさせるが、体内の金弾を求める町民に寄ってたかって腹に手を突っ込まれたホークスは絶命。酒場を経営するテンプラー(ミロ・ケサダ)、金貸しのオーダマン(フランク・ブラナ)の二人は、黄金の分け前を巡り対立する。 ソロはテンプラーの息子エバン(レイモンド・ラブロック)をさらい、息子と引き換えに黄金を渡すようテンプラーに求めるが、テンプラーは拒否。失意のエバンは自殺する。「男」はオーダマン宅に招待され、その妻(パトリチア・バルトーリ)を抱くが、オーダマンは「男」の拳銃を盗み、テンプラーを射殺。現場に銃を放り置く。テンプラー殺しの嫌疑を受けた「男」は、ソロの牧場に連行され、吸血コウモリや毒トカゲをけしかけられる拷問に。たまらず砂金のありかを白状する。ソロの手下が、エバンの棺桶に隠された砂金を奪いに墓場に向かうが、一足先にオーダマンが墓をあばき黄金を独り占めにしていた。インディアンに窮地を救われた「男」は、ダイナマイトをくくりつけた馬を暴走させてソロの手下を皆殺し。ソロも撃ち殺す。オーダマンの妻は、幽閉された部屋に放火。砂金を持ちだそうとしたオーダマンは、溶けた金を顔からかぶり、妻とともに焼死する。悲惨な結末を見届けた「男」は馬を飛ばして町を去る。 【解説】 「ハリウッド西部劇にはない残酷描写」は、確かにマカロニの売り物のひとつではありますが、本作は残酷描写の方向性をはき違えたサディストに、メガホンを持たせてしまった、ところから間違ってしまいました。怪奇スプラッタテイスト丸出しで、観賞後の後味なんかもうグッチャグチャです。 「男」がホークスに裏切られ、メキシコ人仲間とともに撃たれる辺りまでは、なかなかテンポもよく、ミリアンの表情も生かされています。ところが、ホークス一味が町に入るシーンから雰囲気は一変。樽に寄りかかって吐く奴、幼女を踏みつける男、不気味に踊る少女ら、暗い暗い不安感に満ちたホラーサスペンスタッチがスクリーンを覆い尽くします。 後はもう酸鼻を極める場面の連続です。次々に絞首刑にされる強盗団は舌を出してぶら下がり、ホークスの手術シーンはざっくり腹を切るカットを大映し。そこに欲ぼけの野郎どもが、こぞって手を突っ込むのですから悪趣味バンザイです。皮肉なことにこの場面は後年、屈折したマカロニファンの間で屈指の迷シーンとして記憶されることになりました。本作の特異性が際だつ証左といえるでしょう。 オーダマンの妻がドアを開け廊下に現れる時の不気味な演出などは、ハマープロの「ドラキュラの花嫁」のワンシーンか、と思うぐらいです。監督のジウリオ・クエスティが作りたかったのは、ウエスタンでなくスプラッタホラーだったのは明らかです。 ストーリーにおいても主役のミリアンは影が薄く、脇役たちの黄金への欲望にまきこまれるだけで能動的に展開に参画することがありません。物語をつくるのは、あくまで「欲望」です。「男」がソロを倒し町に戻ってきたら、家が燃えていて、なすすべなく目をつぶるだけのミリアンに、劇中の「男」の心境だけでなく、主演俳優としての無力感も漂っていると見るのはうがちすぎでしょうか。 拷問シーンに登場する悪趣味動物たちは、何かの記録映画から拝借したものでしょうが、よく見ると「吸血コウモリ→ただのオオコウモリ」「毒トカゲ→リクイグアナ」です。どさくさに紛れてアルマジロのアップまで出てきます。ミリアンが野生馬を捕らえて乗ったら、なぜか手綱が付いていたり、オーダマンが溶けた黄金を浴びる場面では、木製の戸棚が原型をとどめているにもかかわらず、中の金がどろどろに溶解しているなど、おかしな部分がほかのマカロニ以上にありますが、そんなことは無視していいでしょう。繰り返しますが、これはウエスタンではなく、ホラーなのですから。 ラストで、乱暴に掘り返された墓場のそばで遊ぶ子供が「僕の方が醜いよ〜」と言います。この台詞から「人間とは醜い生き物なのだ」とのテーマ性を感じようとすることもできないことはないですが、多くの観客は「ここまで好き勝手にやっておいて、今更そんな主題を持ち出すな、バカヤロー」という気分にさせられるのではないでしょうか。出演俳優たちから西部劇を見に来た観客までを踏み台にして、悪趣味描写の自己表現を貫いたクエスティのみがこの映画の唯一の勝者であり、人間の醜さを表していると言えるでしょう。 本作にウエスタンの醍醐味を求めることはできません。ただひょっとすると、後にブームを呼び起こすイタリアン悪趣味ホラーの原型として、ルチオ・フルチの「荒野の処刑」とともに記憶されるべき作品なのかもしれません。発売されたビデオでは、上記の場面のほか爆死した馬の腸の長映し、インディアンの顔の皮をはぐ場面などの残酷シーンがことごとくカットされています。ホラー作品の描写がさらにエスカレートしている現在、これらはもはや規制されるべき描写とは言えません。その残酷性こそが劇場公開当時の売り物であっただけに、再びビデオ発売される機会があれば完全版を望みたいものです。 【音楽】 イヴァン・バンドールの主題曲は、エレキギターが主旋律を奏でる典型的マカロニ節。しかし注目すべきは、メロディーよりもバックのギターのコード弾き伴奏です。鋭いカッティングはロック的で、当時ヨーロッパのみならず世界中を席巻したビートルズをはじめとするビートグループの影響が感じられます。 |
| PINGUINO |
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July 05, 2000