続・夕陽のガンマン レビュー



【ストーリー】

 南北戦争の末期、賞金首のトゥコ(イーライ・ウオーラック)は、賞金首2000ドルのけちな小悪党。ライフルの名手ブロンディ(クリント・イーストウッド)とのコンビを組む。わざと捕まって賞金をブロンディが稼ぐと、自分の縛り首の際は、彼のライフルがロープを切って逃走する。賞金は山分けだ。

 トゥコは、ある時「3000ドル以上、賞金も上がるまい」とブロンディに見限られ、賞金を独り占めされたあげく、砂漠に置いてけぼりにされる。彼は必死で砂漠を横断し、ブロンディを追う。追跡の末に彼を捕まえたトゥコは、裏切り者に無帽、無給水、徒歩で砂漠を横断させる。死にかけたブロンディにとどめを刺そうとした瞬間、暴走する馬車登場。北軍の急襲を受けた南軍の男カーソンから、20万ドルの金貨を隠したサッドヒル墓場の名を聞きだしたトゥコだが、墓標の名を聞けぬまま、カーソンは死ぬ。ブロンディのみが金貨を埋めた墓の名を知ったため、トゥコは20万ドルのために修道院で彼を介抱する。

 修道院を出た二人は、南軍の服装をしていたせいで、北軍に捕まり捕虜収容所へ。そこで、別ルートで20万ドルを追い北軍の軍曹になっていた昔なじみエンジェルアイズ(リー・ヴァン・クリーフ)に会う。トゥコはエンジェルアイズのリンチに遭い墓場の名をしゃべる。ブロンディは、エンジェルアイズらとともに墓場へ向かうが、途中でトゥコと合流し一味を倒す。エンジェルアイズは逃走。二人はサッドヒルの途中にある、南北両軍がにらみ合う橋を爆破して先に進む。

 橋を壊す際に互いの情報を交換したトゥコは、ブロンディを出し抜き墓場に先着。そこにブロンディとエンジェルアイズも来た。しかし目指す墓標の下に金貨はない。本当の墓の名を記した石を広場中央に置いて、三人は決闘する。エンジェルアイズが倒された。トゥコの銃から、前の晩にブロンディが弾を抜いていたのだ。無名の墓を掘るトゥコ。今度は金貨を掘り出すが、銃を構えたブロンディは、彼に首を吊ることを命じる。安定の悪い墓標に立ち、木の枝から下がるロープに吊されたトゥコ。金貨をトゥコと均分して立ち去ったブロンディが再び墓地の縁に現れ、ライフルをトゥコに向けた。青ざめるトゥコ。一弾は、昔のように首の上のロープを切ってトゥコは命を拾う。馬を駆るブロンディに「手前なんか善玉じゃねえ!」とののしるトゥコ。エンドタイトル。

【解説】

 いきなり脇役アル・ムロックの顔面大写し2連発。何か大きな意味があるのか、といえば全くありません。本作の主役トゥコが窓ガラスを破って登場するだけのシーンの前置きでした。ずーっと後になってムロックが再登場するまで「この顔を覚えておけよ」というレオーネの押しつけがましさが全開です。それも、ストーリーの枝葉の部分であって、20万ドルを巡る本編にはさっぱり関係ありません。しかし、困ったことに本作はこの枝葉がやたら太くて、1エピソードだけなら面白いものが多いから困ったもんです。

 そのエピソードにことごとく関わるのが主役のトゥコ=ウオーラックです。「荒野の七人」で、あのキャストを向こうに回して一番目立っていた主役キラーが、おいしいところを全部持っていくんですから、ロクな役じゃないイーストウッド、ヴァン・クリーフは形無しです。後に「夕陽のギャングたち」の出演依頼を受けたジェームス・コバーンが、友人のウオーラックに相談した際、彼は「レオーネの映画ならぜひ出た方がいい」と答えたと言います。そりゃ当然ですな。銃砲店に押し入り腕前を発揮したり、兄に「お前は泥棒になる根性がなかったから坊主になったんだ」と説教したり、観客はトゥコに関しては、商売からその境遇までたっぷりと情報を得ることができます。ただし、ルイジ・ピスティリ一世一代の演技だったかもしれない修道院での一幕も、ストーリーにはまるで関与せず、馬車で強がるトゥコのキャラクターをこれでもかと補完する意味しかありません。この積み重ねが、本作を次第に冗長にしていきます。

 「荒野の用心棒」で腕利きの流れ者、「夕陽のガンマン」で凄腕の賞金稼ぎを演じたイーストウッドの本作での役柄は、トゥコと組んでわずかな賞金をだまし取り分け合う、ケチな詐欺師並みの小悪党です。この設定でスタートすると、元々渋くボソボソと話すキャラクターが身上でダイナミズムとは無縁の彼では、カッコよさを回復させることは至難の業です。さらに、話のほとんどはウオーラックの派手なオーバーアクトが画面を占領しているんですから、手の施しようがありません。個人的には、唯一観客をしびさせるような魅力を発揮したと思えるのは、本筋でヴァン・クリーフ一味との撃ち合いの前。ウオーラックに「独りで死ぬ気か」と言って、「行くぞ」とばかりにあごをしゃくるシーンだけです。ここでは、胸で十字を切るウオーラックとの個性の対比に妙味があります。

 マカロニファンがもっとも解せないのは、「夕陽のガンマン」で新たなオッサンスター像を創造したリー・ヴァン・クリーフが、ステレオタイプの極悪人としか処理されていないことでしょう。冒頭に続く殺しは、相手が欲ボケのマカロニ男どもだけに、まだ許せます(ライフルを持った子供を撃つのも流れから言って許せる)。しかし、客に馬車から突き落とされるわ、一緒に暮らしていた男には逃げられるわ、と悲惨な生活を送る娼婦マリアを何度も殴りつけ、久々に登場したと思ったらマリオ・ブレガに命じてウオーラックにリンチの嵐。これじゃファンも消化にいいわけありません。砲撃を受ける町での撃ち合いでも、一弾も撃たずに退散。墓場まで次の出番がありません。その間に躍動しまくるウオーラック。脚本が「idiot」です。

 本作の問題点は、無駄が多いことに尽きます。トゥコを巡り「家族愛」を強調してみたり、捕虜収容所長がエンジェルアイズに人権の説教をしたり、大金をかけての橋を挟んでの激戦(でも臨場感がない。トホホ)で酒浸りの将校に反戦思想を唱えさせたりと、ほかのジャンルならともかく、これらはマカロニではよけいなだけです。あのジャンゴ=フランコ・ネロはインタビューで「ウエスタンはファンタジーなんだ」と語っています。なるほど、ファンタジーだからこそ、大量の殺しや残酷シーンが観客は受け入れられるのです。そこに「反戦」や「家族愛」を持ち込むことは、ヒーローの銃が火を吹く「現実感のない無意味であることの意味」を崩壊させてしまう邪魔な要素でしかありません。「家族が皆殺しにされたから、感情を表さず(表せず?)無表情に復讐の旅に出るステファン」の方が、例え安マカロニであろうとも、よりファンタジックな世界をつくりだしています。多くのファンが、本作を「マカロニではない」と言い切るのは、そのマカロニ観のなさに起因していると考えます。マカロニウエスタンにファンが求めるものは、「Shoot,shoot.Don't talk!(うだうだ言ってないで撃て!)」なのです。

 ラストの墓場の撮影はスペインのブルゴスで行われました。たくさんの墓標が立っていますが、三角決闘が行われる墓地のサークルは、元々小麦を干したり叩いたりするのに使われる農作物の加工場です。農場の真ん中に墓地を作り上げたのですね。三角決闘での三人の目を交互に大写しする手法は、金子修介監督の「ガメラ 大怪獣空中決戦」でも真似されています。

【音楽】

 モリコーネがアメリカで最初に大ヒットさせたテーマ曲は、作中のあちこちで登場。ユーモラスな雰囲気を醸し出す、臨場感を盛り上げるなど、効果的に使われています。収容所でのリンチシーンでの「兵士の物語」も素晴らしいのですが、あのまだるっこしい橋のシーンがやっと終わったと思ったら、死にかけた若者にイーストウッドが煙草をくわえさせる「反戦メッセージ場面」登場、またまたこの曲が流れるといささかうんざりさせられます。もっとも、これはレオーネが悪いのであって、作曲家を責めるのは筋違いでしょう。

 トゥコが墓場を駆け回る時にかかる名曲「ゴールドのエクスタシー」。このシーンはダラダラと長くて、この曲がなければつまらないことこの上ないのですが、明らかにこの曲をじっくり聞かせるための演出です。モリコーネファンとしては複雑な気持ちにさせられます。

by PINGUINO