悠人&S木の
ミャンマー旅
〜バガン編〜
(2001年1月)
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バガンの夕日。
どうじゃ、美しかろう?? |
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〜主な登場人物〜
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<Q氏>
●かっちょイイからお見せしたいんだけどねぇ、「モザイク掛けとけ」と悠人がうるさくてねぇ
<S木>
●なんとな〜く実力以上が出ているので、今回モザイクなし
<悠人>
●ご本人より「全身モザイク希望」が出されました。でも、モザイク掛ければ掛けるほど貫禄が出て見えてるぞ |
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■それぞれに訪れるミャンマーの朝
今日のバガン行きのフライトは朝6:30離陸の予定。ホテルのロビー集合時刻は5:15だ。思い切り早起きせねばならぬ。だから、4:45にモーニングコールを入れてくれるようフロントにお願いしておいた。
いや、だが、しかし…、ミャンマーはそんなに甘くはない。中級ホテルとて信用するべからず。結局、誰の部屋の電話も鳴らず、3人はそれぞれの自室にてそれぞれの状況に合わせて焦り、それぞれがそれなりに人前に出られるような姿で集合できて良かった良かった。
「『それぞれ』がやけに多いではないか。せっかくこうやって集まった旅好き仲間なのだから、もっとお互いに協力し助けあえばいいではないか?」とおっしゃる方もおられましょう。
しかし、私は悠人やQ氏に替わってヒゲを剃ることは出来ないし、男はトランクスよりビキニパンツ派だ。それに悠人&Q氏とて、私が持ってきたあれだけの種類の化粧品を、どの順番で使ったらいいのか?を理解するまでにはかなりの時間が必要だじょ。
人の人生それぞれなのだから、それぞれがそれぞれやるしかなかろう? とにかく、フライトには十分間に合ったのであるから良いではないか。しかし私はこの朝、5分で化粧が終了した。なら、いつも要している朝の化粧所要時間25分って何のためだったんだ??
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| 3歩下がって本当のミャンマー話4・・・悠人 |
パガンに行く日、朝4時30分にはモーニングコールがなるはずだった。
が、ならない。(4時20分くらいから目が覚めていた)
ならなかったのは私の部屋だけなのか?
それとも3人ともなってないのか?
4時50分くらいになり不安になってQの部屋に行ってノックをしてみる。返事はないが、シャワーの音がしているようだ。
S木さんの部屋は何も音がしていない。大丈夫だろうか、と思っていたらドタバタ音がし始めたので大丈夫なのだろう。
結局ホテル側が全員のモーニングコールをならすのを忘れたらしい。
S木さんは5時におきて5時20分に出発できるなんて最高記録と喜んでいた・・・わけではないと思う(笑)
昨日のミャンマー人のタン君の他にもう一人日本語の上手なミャンマーの女性が来ていたと思ったらミャンマー語のできる日本人だった。
空港に着いて、ホテルが用意してくれた2段重ねになった朝食弁当をあけてみる。
上の箱にはパンが2枚とゆで卵が二つ。下の箱にはバナナが2本(3本だったかな)入っていた。なんとなく笑える。ちなみにゆで卵につける塩はなかった。
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■ヤンゴン航空
ヤンゴンの国内線ロビーは質素である。実際、国際線ロビーも質素だが、国内線が国際線に勝つという番狂わせはミャンマーの歴史をも狂わせるので、ここら辺は規律をもって国内線のほうがよりちゃちぃ。我が最寄り駅「M鉄新A城駅」といい勝負だ。
電光掲示板もなければ、マイクでのアナウンスもない(言っておくが、国際線にもそんなものはない)。仏像の後光に電飾を使うくらいならば、こういう場所で活用していただきたいぞ!と切に思う。ここにきた外国人は誰しもそう思ったハズだ。
この時間帯に離陸するフライトは数あるが、何が頼りかといえば「○○航空××便□□行き」と書かれた看板を持ってロビー内を足早に急ぐ空港職員のみ。
「コーヒー飲みたいねぇ、でもいつお呼びがかかるか分からないしねぇ」と私達は一ヶ所に肩寄せ合い、職員の一挙手一投足に常に目を光らせていた。そして気付けば、空港に来てから機内に乗り込むまで、コーヒーを28杯飲む時間くらい十分にあったじゃないかっ!
ついでに、ヤンゴン航空の悪口も二つだけ言っておく。
トイレのカギがキチンと掛からんかったぞ。右手でドアを引っ張り、左手であれこれする私のケナゲさは、100万人の涙を誘う。
復路は「自由席にてお願いします」と言われた。機内に入るとそこにはすでに乗り継ぎのお客がゴソっといて、空席はポツンポツンとあるだけ。悠人はジェントルマンらしからぬ振る舞いで、レディーを差し置いて自分だけとっとと席を確保してしまった。
焦り症の私は非常に焦ったぜぃ。Q氏はノンビリ屋なのか大らかなのか腹が据わっているというか馬鹿なのか、「席がなくなってビジネスシートになったら良いねぇ」などとノー天気なコメントを発していたけれど、この機内にそんなステキな場所があるとは思えない。椅子取りゲームの椅子はきっちりギリギリ乗客人数分あってホッとした…。
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| 3歩下がって本当のミャンマー話5・・・悠人 |
パガンからヤンゴンに戻る飛行機に乗るとき、チェックインカウンターのお姉さんが日本語で言いました。
「自由席です。」
ふーんと思う男二人。今は知らないが昔のアエロフロートにはよくあった。ただ、アエロフロートの場合、席よりも搭乗券の方が多いという話もあるが(悠人の友達セネガル談)。
自由席ときいた時点ですでに顔がひきつっているS木嬢。何も気にしてない私とQ。Qは飛行機に乗るときにも、それがかりに国際線であっても「40分前に行けば充分」というような男なのであわてたりすることはない。
さて飛行機に乗り込む。乗る人数が極端に少ない。「なんだ、ガラガラじゃん」と思ったらパガンは経由地で飛行機の中にはすでにたくさんの人が。
私は東京や大阪に行くとき、新幹線に乗るときも他の在来線に乗るときも自由席に乗っているので、感覚的には、それが飛行機になったって一緒である。人の頭のないところが空いている座席である。で、隣に座っている人に「隣空いてますか?」ときいて空いていれば座ればいいのだ。しごく単純な話。
飛行機の後ろから悠人・S木・Qの順で乗り込み、いくつかの空席をやりすごしたところで、インド系の女性が一人で座っている席とミャンマー人らしいおじさんが座っている席がある。じゃあ俺がミャンマー人のおじさんの隣に座り、S木さんはインド系の女性の横かな。
で、おじさんの横に座る私。しかし、その横を後ろから押されるように通りすぎるS木嬢。この時点で少しパニックになってる。なんで前に行くんだい?
S木嬢の後ろを歩いているQにスチュワーデスが声をかける。
「後ろが空いていいるから後ろに座りなさい」
「えっ嘘ーー、ちょっと待ってよ」
前に空いている席がなく最後まで通路に立っているS木さん。何かものすごくオーバーアクションしていたぞ。
S木さん、ごめんね。もし席がなかったら降りてね。僕のバンコク行きチケットは明日の朝ヤンゴン発だけど、S木さんのチケットは2日後だから今日乗れなくて明日になっても大丈夫。
合掌。
って、さっきのインド系の女性の隣の席が空いてるままやんかー
そういえば、この飛行機のスチュワーデスも片言の日本語喋ったんだな。
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■バガンの遺跡群
空港で入域料10米$を払い、堂々のバガン入り。本日はニャウさんという女性ガイドの案内で、付近を埋め尽くす遺跡を観光しに行くのである。
草むらの中に乱立する朽ちたレンガ造りのパゴダ。わお、なんと幻想的なのだろう。言葉では表現しきれない。だから書かない。というか、どう頑張っても私の貧困表現力ではムリである。ここら辺は佐藤俊哉氏に同感。
(詳細は「世界旅通信ミャンマー編」を再読のこと。世界旅通信を知らない人は即刻「それゆけ個人旅同好会」に入会するといいだろう)
どこを車で走っていてもどこを歩いていても、目の前にはパゴダが見える。この日、数えられないくらいのパゴダや寺院に連れていってもらった。あまりに数が多すぎて、どれがなんと言う名前なのか覚えられない。
それに、ガイドのニャウさんは日本語を2ヵ月しか学んでいないのだという。しかも教科書のみの勉強である。2ヵ月という短い勉強時間のワリには上手な日本語を喋るなぁと感心はするけれども、それでも彼女の日本語は分かり難い。
だから、次回、皆様にお会いする時「バガンではどこに行ったの?どういう歴史があるの?」と聞いてもらっちゃうと、私は非常に慌てる。右手と右足を同時に出して、カクカクと逃げていかなければならない。だから何も聞かないで欲しい。

どこかにあった像。ちょびっと可愛い。 |

どこかにあった鐘突き台。 |
■三十路過ぎの愚かさパート2
バガンでは漆細工が盛ん。どの寺院にもパゴダにも、壁画を模したタペストリーや骨董品(モドキ)や猿の頭蓋骨(←なぜかこういう物も売られています)などに混じって、かならず漆細工売りの女の子達がいる。
さすがに観光地で生きていく物売りの子供達。「ごひゃくチャット」「さん$」などと、数字はちゃんと日本語で言うていた。お利口さんである。16,17歳ごろの年頃にもなると、もう少し気の利いた日本語を操るようになる。少々色気なども出始め、シナを作って男性観光客を攻めている。
「おにいさん、カッコイイ」…
覇気のないか細い声が背後から聞こえる。振り向くと、女の子に漆細工を突き付けられている悠人がいるのだった。こちらは3人いるが、物売りに付きまとわれたり、ワリの合わない両替を頼まれるのはいつも悠人である。精悍な顔付きのQ氏と冷たい美人顔(←ごめんなさい、嘘です)の私には誰も寄ってこない。
まぁ、他人がアタフタしているのを見るのはタイヘン面白いので、Q氏と私は悠人がどう物売りを撃退するのか見物していた。
「わあ、"おにいさん"だなんて久し振りに言われたぁ」
パゴダ一周を漆嬢につきまとわれ「ええ〜、コースターなんて要らないよぉ」「S木さ〜ん、助けてぇ」となかなかカワイイところもある悠人おじさんは『おにいさん』という言葉にレロレロになっている。そこに『カッコイイ』までプラスされているのだからもうダメだ。ヘナちょこ悠人は生涯使う機会などないような、漆塗りのコースター5枚セットを買いました。
おっぱい出して「おにいさん、カッコイイわん」と悠人に近づいてごらんなさい。きっと、フェラーリの1台くらいポ〜ンと買ってくれちゃうと思う。
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| 3歩下がって本当のミャンマー話6・・・悠人 |
パガンは素晴らしかった。その素晴らしさは文章にできないので書かないと思ったら、そうだ、「お兄さん、かっこいい」事件があったのだ。
あるパゴタで、土産物売りのお姉さんがウルシのコースターとそれを入れる箱をもってきた。
「箱だけ1ドル、中(コースター)が入ったら2ドル」
でも、そんなものは要らないので「いらない」と言うと、彼女は蚊の鳴くような声で言った。
「ぉ、ぉ、おにいさん、かっこいい」(←完璧な日本語)
私は倒れそうになった。お兄さんと呼ばれたのは久しぶりだし、かっこいいと言われたのはいつのことだったろう。もしかしたら言われたのは前世でのことだったかもしれない。
私たち3人がパゴタをまわっている間、彼女はずーっと私についてきて、「箱だけ1ドル、中(コースター)が入ったら2ドル」を繰り返し、私がいらないと言うたびに「ぉ、ぉ、おにいさん、かっこいい」と言った。
笑ってるS木さんに「S木さん、この状況なんとかしてよ」と言うと、S木さんは私の腕をとり、ミャンマー人の娘に「He
is my boyfriend」と言った。
が、そんなのはミャンマー娘には関係なかった。彼女の「ぉ、ぉ、おにいさん、かっこいい」は、ものすごく哀愁をさそった(笑)。声がハスキーでかぼそく、「あなたに、これを買ってもらえなかったら私はどうすればいいの」っぽい雰囲気があった。かわいそうになり結局箱とコースターを500チャットで買う。
それから、「お兄さん、かっこいい」とミャンマー娘が何人もやってきたけど全然哀愁がただよってないので、「そうなんだよ。最近よく言われるんだよ」と言って相手にしなかった。
そう言えば、100円玉を持った子供らがやってきてチャットに変えてくれという。「日本円じゃここでは駄目だな。かわいそうだから変えてあげよう。」と心優しい私は換金してあげたのだが、そしたら次から次に100円玉を持ったガキどもがやってくる。
来るんじゃねえ。俺の優しさは一人目にしか発揮されないのだ。(笑)

「おっおっお兄さん、かっこいい」のお姉さんと、かっこよくないお兄さんの図
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■ミャンマーにて卵について考える
最初にQと二人で行った中華料理屋で食した飲茶の中にシュウマイがあった。食べると普通のシュウマイとは違う何か懐かしい味が。思い出した。うずらの卵がゆで卵になって入っているのだ。けっこう旨かった。
パガンで夜店をひやかしながら歩いていたら、たこ焼きそっくりなものを売っている。そのたこ焼きをつくっている鉄板からして日本のたこ焼きをつくる器具にそっくりなのだ。ただ日本のたこ焼きに比べると少し扁平した形ではあるが。
そして、そのたこ焼き風の食べ物の横にはうずらの卵がたくさんおいてあった。
初日の記憶があった私は、なるほど、うずらのゆで卵がすっぽり中に入っているんだな。美味そうだ。と思った。
そしたら下手物探検隊隊長のS木さんが一つそれを買った。ひとつ10チャット(3円)安い。
半分ほどかじるS木隊長。
見守る私とQ。
ちょっと笑みを浮かべて残った半分を私に差し出すS木さん。
食べる。
「うーん、とってもオイリー(笑)。うずらどこにもないじゃないか」
うずらのゆで玉子は入ってなかったが、うずらの玉子そのものは、はいっていたのだろうか。それはなぞのままのこった。
で、夜。
美しい星空。
新婚さんが喜びそうなホテル。
数千のパゴタが林立する神秘の町パガン。
星を見上げている私ら3人だけがロマンチックではなかった。
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■ゆで玉子の重要性について
物売りの子供達はとかく一生懸命にブツを売ろうする。そういった子供の一生懸命さ、ケナゲな姿に私は弱い。ここで私が何か買えば、この子達は家に帰って親に褒められ、御飯をいっぱい食べられるんだろうなぁ…と常々思ってはいるけれど、でも要らない物は買わない主義である。
悠人は簡単に落ちるが、私はそれほど甘くはない。いや、悠人だって漆売りが子供だったら、ああも簡単には落ちなかっただろう。ピチピチのムスメさんだったのが敗因である。
というので、何も買ってくれないと分かると、次に子供たちは「ボールペンをくれ」「キャンディをくれ」とか言い出す。財布の口は堅いが心優しいQ氏は「そっかそっか。何かが欲しいんだ。あ〜あ、バナナ持ってくれば良かったな」と残念そうである。
暑さ厳しいバガンの昼下がりを一旦ホテルで過ごし、再度観光に繰り出した私たち。とある場所で「子供にゆで玉子あげたんだよ。あの子、嬉しそうだったなぁ」と、Q氏が目尻を下げている。この男、先ほどホテルに帰った時、子供たちにあげるため、"朝食弁当で残したゆで玉子"をいつの間にかカバンの中に忍ばせてきていたのであった。
見ると、ゆで玉子を貰った女の子は猛スピードで殻をむき、慌てて玉子を口の中に押し込んでいた。その横にまとわりつく他の子供達から蹴りまで入れられている。それでも玉子を友達に分け与えようとする気はさらさらないようだ。
バガンにおけるゆで玉子の重要性、お分かりいただけますでしょうか?
しかし、玉子を食べ終わるや否や、その子はQ氏なんぞには目もくれず、他のパツ金観光客に何かねだりにいった。
「俺のことなんてもうどうでもいいのかぁ…冷たいよねぇ…」、病み上がりのQ氏の身体がまた一回り小さく見えた、バガンの日暮れ前なのである。
| 3歩下がって本当のミャンマー話7・・・悠人 |
で、ここでみなさんにミャンマーの玉子にまつわる悲しい伝承をお伝えしましょう。
ミャンマーには『チャウの黄金の卵』という悲しい民話が伝えられています。
チャウというのは11歳になるシャン族の少年で母が病気がちなため、幼いながらも手にマメを鍬をふるっていた。
そうするうちに母の病気はますます思わしくなくなり、これは滋養をつけねばどうにもいかん、という医者の見たて。何がなんでも卵をくわせろという。
風雨すさまじき夜中、チャウは卵を求めて村里を走り回った。しかし、貧乏なシャン族の村に鶏はいなかった。しかたがなくチャウは隣のモン族の村に行った。しかし、シャン族の少年にモン族は冷たくチャウに卵の一個を恵んでくれるものもない。
困ったチャウはとうとうある農家の鶏小屋に忍び込むのだ。ミャンマーでの他民族でのことだから死を覚悟での鶏泥棒である。闇の中で一羽の鶏をひっつかむと一目散に逃げた。暴風雨の中こんなに濡れては卵も産めまいと懐に入れなるべく濡れないようにして家までついた。
家でふところから取り出して驚いた。鶏の頭にでっかいトサカがついているではないか。オスだったのだ。ええい、命がけで盗んで来たのに憎いヤツ、というの、でせめて鶏鍋にすることにした。
腹をたちわってみるとまたびっくり。金色に輝く卵がオンドリの腹の中から出てきたではないか。狂喜して母親のところに持っていった。
「おっかあ!奇跡だ。オンドリの腹からこんな卵が、ほら、金色に光って」
母親はその卵をじっと見つめて、
「…………、キンタマじゃ」
これがミャンマーにつたわる『チャウの黄金の卵』という悲しい……すみません。もう書きません。今作りました。しかも99%盗作です。
と、まあ思わず民話のひとつも作ってしまうほど、ミャンマーでは卵は大事だと言いたかったんです。
S木さま、このお話は盗作なので、間違ってもHPに載せないように。
※載せちゃいました〜。し〜らね(笑) by・・・S木、にんっ♪ |
■星
美しい話を書いておく。
バガンの夜空の星は本当にキレイだった。空にはあんなにたくさんの星があったんだなぁ。私が子供のころの日本でも、あれだけの星が見えていたのかな。
3人それぞれに空を見上げ、誰もが何も言わずしばらくその場に佇んで星に感動し、星に感動する自分に感動していた、いた? いいえ、感動はそう長くも続かなかった。
「あれがオリオン座でぇ、あれがカシオペア座でぇ、あれ?北斗七星はどこだろう?」…悠人先生による「星座講義」が始まり、それがいつしか「悠人&Q氏がチリでナンパの材料に使われた話」へと変わっていき、"馬鹿笑い×3"は静寂のバガンの夜にタイヘン失礼なことをいたしまして申し訳ございません。
あ〜あ、今日も楽しかったな。おやすみ。
■本日の番外編
・ミャンマーではバースコントロールをしないそうである。
・太った人がシュエサンドーパゴダ(←サンセットスポット)を登りきると、人々から「おめでと〜」と言われる。やせてはいるが高所超恐怖症のQ氏がパゴダを昇り下りきった時、私も「おめでと〜」と言ってさしあげたかった。私も高所恐怖症であるが、Q氏が急な階段にお尻をついて降りていく後ろ姿を見た時ばかりは「勝った!」と思ったぜ。
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バガン2日目。空港送迎集合時間の夕方5時までは、何をしても誰にも叱られないフリータイムである。この日私にはどうしても訪れたい場所があった。ポッパ山である。
私が唯一尊敬する旅行記作家:宮田珠己氏が『東南アジア四次元日記』のなかで、このポッパ山について十分触れておられるのだ。そして、宮田氏がポッパ山でお撮りになられた写真にはヘンテコな達磨があったり、ありがたくないようなお坊様の像があったりと、めちゃくちゃS木好みなのである。「私好み」というよりは「私が宮田氏から多大なる影響を受けてしまった」といった方が正しい。
この日に何をしたいという欲望のない相方衆と連れ立って、タクシーを1日25$でチャーターし、バガン市内から車で2時間弱離れたポッパ山へ向かった。
ホテルから手配されて私達の前に現れたのは、ちょっとブキミなおっちゃんドライバーであった。もしこの時ワタクシ一人だったのならば、おっちゃんに5$札を握らせて「どうぞとっととお帰りください」と絶対言っていたと思う。
「ブラックマーケットで買ったんですよ、イヒヒ」というおっちゃんの日産スカイラインはボコボコ道を爆走。「あかん、吐くかもしれん…」と切に訴えるワタクシに向かって、悠人&Q氏は「じゃ、トランクの中に入りなさい」と本当にアナタ達は冷たいわねぇ。
途中、運ちゃんが気を利かせて、黒砂糖を作る集落に立ち寄ってくれた。天を仰ぐ木には上までハシゴがかけてある。その葉っぱから黒砂糖を作るようである(違うかもしれん)。
「悠人、登ってみ!」「うっしゃ〜!」、悠人はスルスルと途中まで登っていった。軽やかである。あまりに賢いため高い場所大嫌いなQ氏とS木は、下からやんややんやの大喝采…と思うでしょ?? 悠人が下に降りてくる時にはもう、Q氏は牛が臼を引く作業を熱心に見ていた。Q氏はまことに冷たい人だ。
ただただ長閑な田舎道をひたすらに走っていくと、低い山々が目の前に現れる。とうとう来たのだポッパ山。「すとこん…」と今にも停まるのではないか?と思われたスカイラインは山道をゼェゼェと登り、無事『タウン・カラッ』の門前に着いた。
■タウン・カラッ
プリン型の岩の上に、安ラブホテルのようなお城らしきが見える。でも、ここで御休憩2時間はできない。空中バスもHビデオも回転するベッドもありませんからね、ご注意ください。
お城に見えるが、これでも一応寺院であるらしい。だからここでもまた裸足になって、山頂まで15〜20分ほど階段を上がっていく。くれぐれも注意しておきますが、ラブホテルではないのだから裸足になるのは良いけれど裸体になってはいけないよ。
参道には小さなお猿がたくさんいて、観光客からエサを貰ったり、観光客からエサを無理矢理かっぱらったりしている。私は見なかったけれど、Q氏はお猿に腕をムンズと掴まれたそうだ。メチャ面白かったと悠人は言っていた。
そして参道には水溜まりがいくつもある。ただの水なのか?ジュースがこぼれたのか?お猿の粗相なのか? 山頂に近づくにつれ急な傾斜になってゆく階段を、水溜まりを避けながら上っていくのはタイヘンである。
一応記しておくが、参道途中にトイレもある。地元民らしきおばちゃんは裸足のまま、そのトイレに入っていった。中国のトイレを制覇してきた私も、さすがに裸足であのトイレに入る勇気はない。
「私は今とても尿意をもよおしておりますが、あのトイレに入らない私は間違っていませんよね?」と悠人に伺ったら「はい、絶対間違っていません」と認めていただきありがとう。
山頂の寺院には別段大したモノもなかった。こんなところに付き合ってくださった悠人さん&Qさん、本当にゴメンなさい。
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| 3歩下がって本当のミャンマー話8・・・悠人 |
私たちはポッパ山頂にむけ長い階段を登っていた。そこへ一人の少女がやってきた。まずそうな堅いパンを買えという。猿にやれという。何が嬉しくて30越えた大人がわざわざ餌買って猿に餌付けをしないといけないのだ。
少女はしつこかった。どうやらQに的を絞ったようだ。急に雄叫び?を始めた。どうも猿をよぶ雄叫びらしい。と言っても猿はなかなか来ない。無視して階段を登る私とS木嬢。で、結局猿の餌を買わされるQ。でも、その餌を売りつけた女の子と写真をとり、結構ご機嫌なQ。そうかー、彼女が好みだったんだね。
でも、写真をとり終わると彼女は、次の観光客を求めてすぐにいなくなってしまったけど。でもQは帰るとき言った。
「今日は猿を呼ぶ少女と会えてよかった」
長い階段の途中で猿に餌をやるQ。その時事件はおこった。一匹の猿がいきなりQの二の腕を「ガシッ」と両手で掴んだのだ。まるで、逃げる男の腕を逃がすまいと握りしめる女性のように。硬直するQ。目が点になる私。一瞬時間が止まったような気さえした。この時になぜかいないS木嬢。数秒後、猿のほうも我に返ったように手を離す。
いったい何だったのだろう。あの一瞬を写真に撮れなかったのが悔やまれる。
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唯一ステキな風景。
■初代ポッパ様
ここの土産物店で気になるブツが一つあった。ポッパ様である。ヘンテコな達磨型の貯金箱である。かわゆい。ブサイクなところがなんとも言えない。この手で抱きしめたい。
200チャットというところを100チャットに値切って1体購入し、私はポッパ様の入った買い物袋をブラブラさせ、それはもうシアワセだった。
「コン」、はっ!…私のひじが当たっただけでポッパ様にはヒビが入ってしまわれた。でもこの程度なら平気。O型のS木は、買ってから10分くらいしか経っていない土産が傷モノになったこととて、そう大して悲しくはなかった。
帰り道。途中寄ったガソリンスタンドで、運ちゃんが手動ポンプでガソリンを汲み上げ、バケツと漏斗を使って、スカイラインに燃料を投入している。
「わぁ、すっご〜い」、外に出てカメラを向けたあと、「ねぇねぇ、手作業だなんてワビサビだねぇ」と悠人に話しかけながら後部シートに身を沈ませた。
「グシャッ」
もうダメだ、もう見れない。見たら泣いてしまうかも。ポッパ様は私のお尻で粉砕された。

■二代目ポッパ様
ポッパ様が大傷をおった今、私にどんな希望があるというのだろうか?もしポッパ様がもう一度買えるのなら、私は10$出してもいい。絶対欲しい。
落胆する私を憐れに思った相方衆は、昼食後より交替した若いタクシーの運ちゃんに玉砕したポッパ様を見せ「これを売ってる所知らない??」と聞いてくれた。
それがあるらしい。ホテル近くの市場に売っているそうなのだ。その時の私の回りには花が咲き乱れ小鳥はさえずり…って、私は鳥が大嫌いだから近寄ってこなくてよし。
市場のハズレにある汚い人形店にポッパ様はいた。先程玉砕された初代ポッパ様よりはブスだけど、いいわよ、言い値で買いますわよ。
「いくら?」
「200チャット」
「…高い。100チャット」
さっきは「10$出してもいい」とマジで思っていた。でも、あのかわゆい初代ポッパ様よりブスのアナタが、初代様より高いのは許されない…という勝手な理由で私は闘った。これも初代ポッパ様レクイエムである。結局100チャットで競り落とした。
二代目ポッパ様はその後、洗濯物3枚に包まれた上、大切に大切に大切に扱われ(事実、パスポートの次に大事だと感じていた)、無事日本のS木御殿にまでお越し召された。ただいまS木部屋のピアノの上に飾られているけれども、よくよく見たら全然可愛くないやんけっ。
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| 3歩下がって本当のミャンマー話9・・・悠人 |
降りるときS木嬢はポッパ様を買いたいと言い出した。ポッポさまのかわいさが男二人には全然理解できなかったが。
日本に持って帰るのであまり大きいやつは駄目だから一番小さいやつ。
みやげ物屋のお姉さんの言い値200チャット(約60円)を半額の100チャットに値切り倒すS木嬢。結局ポッパさまを100チャットで手に入れたS木嬢はそれを手にようようと階段を降りる。しかし、
「あぁぁーーー。このポッパさま、顔が汚れている」
もちろん元の店に戻り、きれいなポッパさまと交換。そしてご機嫌のS木嬢は袋に入ったポッパさまを振りながら歩いていた。
そのとき、
「バキッ」
いやな音がした。ポッパさまにヒビが入っていた。S木さんの肘に当たった衝撃のせいだ。ポッパさまは極端に壊れやすいことが判明。
悠「『このポッポさま、ヒビが入ってるから入ってないのと交換してくれ』ってさっきの店にもう一回行かないの?」
S「それはさすがに行けないな」
偉い!って当たり前だけど(笑)
パガンへの帰り道給油所でそれはおこった。
ガソリンを桶でくんで漏斗で車に入れる風景を写真にとりなよ、と言う私の言葉に素直にしたがったS木嬢。結局間に合わなくて写真はとれなかったのだが、座席にもどったS木さんのお尻の下で嫌な音がした。
その音は、昔、星飛雄馬が大リーグボール3号を投げすぎて、左腕の筋肉の筋が切れた時の音に似ていた。(←若い皆さん分かりますか?)
いくらS木さんが軽いとはいえ、彼女の全体重を受け止める力はポッパさまにはなかった。あわれポッパさまは、S木さんのお尻の下で残骸となっていた。合掌
S木さんは泣いていました。で、言いました。
「ポッパ様を絶対もう一回手に入れる。たとえ10ドルでも手にいれる」
ああ、やっぱり女は嘘吐きです。S木さんといえども例外ではありません。40セントのものを20セントに値切って買ったのに、10ドルなんて絶対払うわけがないのです。
でも、恐ろしいのは女性の場合言っているときは本気なのです。だから口からでた時は嘘ではないのです。ですから、「嘘吐き」と言うよりは「女心と秋の空」というべきでしょうか?
今回の場合は誰にも迷惑はかかりませんでしたが、多くの男がこういう女性の言葉に振り回されているのでしょう。かわいそうな男達(笑)
そして、S木さんは二つ目のポッパさまを手に入れました。一体目と同じ値段をいう売り手の値段をやっぱり半額の100チャット(約20セント)に値切って。
ホテルに帰ってきた私たちですが、空港への迎えが来るまで2時間近くありました。先日の夜はジュニアスイートを一人が一室独占していたのですが、今は3人で一室です。
S木さんがシャワーを浴びたいというので、その間、私とQは二つあるベットにそれぞれころがりました。強烈な睡魔が襲ってきます。
Q「俺達がベットを占領してたらS木さんは困るんじゃない?」
悠「うーん、まあいいんじゃない。眠かったらどっちかのベットにくるでしょ」
(ベットが二つあり、その一つに男が二人寝るほうが気持ち悪いでしょ・・・と言い訳)
数分後シャワーからでてきたS木さんに半分眠りながら言いました。
悠「S木さん、もし眠かったらどっちか適当にベットの端っこのほうに寝てね」
(ごめんなさいS木さん。その時は気がつきませんでしたが、非常に無理を言っておりました。この場をかりて深くお詫び申しあげます。でも、この教訓は私の残りの人生になんの影響も与えないこと大ですが)
私とQが寝ている間、S木さんは森村誠一の本を読んでおりました。やがてQが起きあがり「散歩に行ってくる」と出ていきました。
その時は気がつきませんでしたが、S木さんがベットを使えるように気をきかしたのかもしれません。Qは女性にけっこう冷たいのではないかと思っていたのですが、そうでもなかったようです。歳をとり丸くなったのか、S木さんを気に入っていたのか分かりませんが。
QがいなくなったあとS木さんは、空いたベットに潜り込み寝始めました。結局、私はQが「迎えがきたよ」と教えてくれるまで寝続けました。
二人っきりでホテルの一室で寝ていたのになんのアクションもおこさなかったことを、謝る必要はないですね(笑)>S木さま
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ヤンゴン編 ◆ バガン編 ◆ トゥンテー編

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