仲良し

 まことに人間とは愚かしいもので、自分自身の気持ちさえもはっきりとは知ることができないのです。憎しみを愛情と錯覚し、主従関係にすぎないものを友情と誤るのです。そして、愛情がいつの間にか憎しみに変わり、友情が打算のために終わったといって嘆いたりしているのですが、実際には何一つ変わっていなかったのです。それらは初めから、憎しみであり、打算であったからです。
 これから語らせていただく物語は、人間の子供の話ですが、子供といえ何ら変わりはありません。彼らが友情だと思っていた関係の破綻の話です。冥府の神々よ、黄泉の国に住まう神々よ、この物語が気に入っていただければ幸いです。

 小学校6年生の亜紀子は、夏休みも終わりに近づいたある日、A子の家にやってきた。B子も一緒に三人で浜辺に泳ぎに行こうということになっていたからだ。B子はほんの少し前に着いたらしく、暑さでゆでられたように真っ赤な顔をして玄関に座り込んでいた。今日は記録的な暑さで、亜紀子も10分ほど歩いただけで息が荒くなった。
 家で待っていたA子が当然のように、こんな暑い日は外に行かない、なかで遊ぼうと言いだした。亜紀子は驚いて約束どおり海に行こうと、少し声を高くして言った。だって、そうじゃなきゃあ、何のために重い手提げを下げて、ここまで来たというのだ。
「こんな史上最高に暑い日に遠くにでかけようなんて、亜紀子ちゃんは頑丈ね。」と言ってA子は馬鹿にしたように笑った。
「テレビでも放送してたけど、1時間もかけて浜辺へ行っても今日は人が多すぎて泳ぐどころじゃないわよ。それよりも家で冷たいものでも飲みながら遊ぼうよ。」とA子は言った。そして、もうそれに決まったと言わんばかりに、玄関に座りこんでいるB子の手を引きながら家の中に入っていった。
 なんてことだ、こんなに簡単に約束が反故にされるなんて。先週、三人で浜辺に泳ぎに行こうと誘ったのはA子自身なのだ。 古い水着しかなかったのが恥ずかしいので、お母さんに無理を言って新しいのを買ってもらったり、言いつけられた用事を叱られながら後回しにしてもらったりして、なんとか時間通りにA子の家にきてみたら、突然、浜辺に行くのはやめた、家の中で遊ぼうと言いだしたのだ。いつもこうだ、苦労したときにかぎってA子の気まぐれでそれが無駄にされてしまうのだと思った。特に今日は新しい水着をぜひ浜辺で着てみたかったのに。鬱屈とした感情が心の中に広がった。
 しぶしぶ後に続いて家の中に入った。目が慣れないため家の中は洞窟のように暗く、ひんやりとして静まり返っていた。郊外の住宅街であるこの辺りにはまだ大きな木立ちがたくさん残っていて、日が真上でなければ木の影が家にかかっているからだった。
「誰もいないの?いやに静かね?」とB子が聞いた。
「この辺りの昼間はこんなものよ。外は静かだし、平日だからあの人たちは勤めにでてるし。平和なものよ。」とA子が言った。「あの人達」とはA子の両親のことで、彼女はいつもこう呼んでいた。
風通しのよい所で冷たいものを飲みながらおしゃべりをしていたら、少しは頭が冷えて平静な気分が戻ってきた。でも、やっぱりまだ楽しむまではできなかった。
「どうしたの、亜紀子ちゃん。怖い顔してる。予定を変えてしまったのを怒ってるの?」と言って、A子が顔を覗き込んできた。
「亜紀子ちゃんは、新しい水着を着てみたかったのよ。」とB子が言った。亜紀子は水着を買ってもらったことを昨日電話でB子に話していた。
「えーっ!着て見せて、着て見せて。見たい、ねえ、見せてよ。」A子は大げさにはしゃいで言った。
「いやよ。ここじゃ変だし恥ずかしい。」と亜紀子は気弱に言った。
「じゃあ!!」とA子はすごいことを思いついたというように叫んだ。
「みんなで、今から水着に着換えて、水着パーティをやろうよ!裏庭で水浴びもできるし、最高に気持ちがいいよ。」
「だめよ。変だよ。水着になるのなら海に行こうよ。」と亜紀子が言った。
「えーっ!この殺人的な暑さの中を歩けっていうの。私も、B子ちゃんもかよわいのよ。 死んじゃうわ。亜紀子ちゃんは頑丈でたくましい体だからいいでしょうけどね。」
確かに、A子もB子も色白でほっそりとして、繊細な感じがした。それに比べて亜紀子はどちらかというと色黒で肥満気味だった。去年の今頃は三人とも体型にそんなに差がなかったはずなのに、急に二人は女っぽくなり、亜紀子は背だけは少し伸びたが子供っぽい体型のまま太った。亜紀子は、ムッとしたが何もいえなかった。
 結局、私たちは水着に着替えることにした。確かにその日は異常に暑く水浴びという言葉は魅力だった。幸い裏庭は、高い塀と密に茂った生け垣で囲まれており人に見られる心配はなかった。
「これを飲んでみない?」といって、A子は水浴びの後の濡れた髪をふきながら、きれいなラベルを張った黒い瓶を持ってきた。三人は縁側に濡れた水着のまま座っていた。
「なあに、これ?」とB子が聞いた。ラベルの文字は全部外国語で全然読めなかったからだ。 「パーティを盛り上げるものよ。これを飲めばどうしてか楽しくなるのよ。」
「ひょっとして、お酒なの?」とB子が聞いた。
「まあ、そんなものね。ほんとの事を言えば、よく知らないの。あの人達が寝る前によく飲んでたものよ。特に仲良くする夜なんか二人でいやらしそうに笑いながら飲んでたよ。」 亜紀子は一度会ったことのあるA子の母親の知的な美しい顔を思い浮かべた。それから彼女のいやらしそうな顔というのを想像しようとしたがどうしてもできなかった。それに、A子が何を言おうとしているのかもよく分からなかった。きょとんとした顔をしているとA子がけたたましく笑った。
「亜紀子ちゃん、知らないの、ほら、お父さんとお母さんが夜中に遊んでるあれよ、時々変な声出して。」と言って、また馬鹿にしたように笑った。亜紀子は、自分の子供っぽい体型も笑われたようでムッとした。
「私ね、これ、時々寝る前に飲んでるんだよ。舐めるぐらい飲むとうきうきして楽しい夢を見るの。」とA子は言った。
「ばれたら叱られないの?」とB子が聞いた。
「平気だよ。もう、半年以上もあの人達は全然これを飲んでないの。毎日ケンカばっかりしてるから夜仲良くする暇もないのよ。二人ともこんなものがあったのもとっくに忘れてるよ。ねえ、飲んでみてよ。」といってA子はグラスの底に少しづつ注いで私とB子に手渡した。そして、A子が最初に飲み干して亜紀子とB子に飲むようにもう一度勧めた。B子が少し口を付けても亜紀子がまだためらっていると、A子は哀れむような笑みを浮かべて亜紀子を見た。こんな笑いがでたときは、亜紀子は、もし飲まなければA子の辛辣な悪口を浴びせられると知っていたから一気にそれを飲み干した。甘い重厚な液体が喉を通った。何かの薬草のようなにおいとアルコールが鼻を突いて少しむせたが、咳き込みはしなかった。B子も全部飲んだようだった。
どうなるのかと待ってみた。別に何の変化も起きなかった。楽しくなるどころか、よけい暑くなり、ひどく汗が噴き出しているようだった。
「なんだかすごく暑いよ。もう一度水を浴びるね。」と言って、亜紀子が歩き出したとき、おかしなことに気づいた。裸足で歩いているのに、足の裏に芝生の感触がないのだ。足下をよく見ると地面から浮いていた。驚いて、A子達の方を振り返ると二人は何十メートルも離れたところに座って亜紀子を見ていた。たった数歩歩いただけなのに、どうしてこんなに離れてるんだろう、それに第一、A子の家の裏庭はこんなに広かったのだろうか、そう思った途端、A子とB子が目の前にあらわて亜紀子を地面に引き戻した。芝生の感触が急に戻ってきた。
「もう酔っぱらったの。まるで子供ね。」とA子が大きな声で笑いながら言った。
「私酔っぱらってるの?なんだか、変なのよ。」と言って、A子を見たときあっと驚いた。A子ではなかった。A子の母親だった。いつの間に現れたのだろうか、目の前に、心配そうに亜紀子を見つめる知的で美しい顔があった。びっくりして亜紀子がどぎまぎしていると、いかにもおかしいというように、突然、けたたましく笑いだした。そして、呆気にとられている亜紀子に近寄ってきて言った。
「さあ、もっと飲んで今夜は仲良くしましょう。」
ぞっとするほどいやらしい笑い顔だった。亜紀子は悲鳴を上げて逃げた。A子もB子も腹を抱えて笑い続けていた。まるで笑いが止まらなくなったようだ。気がつくと、A子の母親なんてどこにもいなかった。
「どうしたのよ。しっかり地面に立ちなさいよ。また浮いてきてるよ。」とA子が大声で笑いながら言った。激しく笑いながらだったので、時々息を詰まらせ喘ぐような声だった。「赤ちゃんみたいよ。よちよち歩いてる。子供どころか赤ちゃんだったの。」とB子も身を震わせるように笑って言った。
 亜紀子はそれまで感じたことがないほど激しい怒りを感じた。いつもは二人に馬鹿にされても気持ちが萎えてしまうだけなのに、今は感情の爆発のようなものを感じていた。
「笑うのはやめてよ。」と叫んだ。
 叫んだつもりだったのに、かろうじて咳き込むような声が出ただけだった。気がついてみると、亜紀子自身も激しく笑っていた。どうして怒りでいっぱいなのに笑っているのだろうと思った。A子もB子もますます激しく、口を大きく開けて絶え間なく笑っていた。亜紀子は口を閉じさせようとA子に掴みかかった。ほかの人がこの光景を見ても、三人が笑いながらじゃれあっているとしか見えなかったと思う。A子は亜紀子に口を押さえられても、それを振り払うように、ますます大きく口を開けて笑った。どこまでも大きく口を開けていった。ついに、口が裂け血が噴き出しても笑っていた。耳まで口が裂け、巨大な口が開かれたとき、犬のような鋭い牙が並んでいるのが見えた。化け物だ。A子は化け物だったのだ、殺される、逃げなければと思い、とっさにA子を突き飛ばして走り出したとき、何かにつまづいて倒れ、そのまま気を失った。
 亜紀子はひたいに冷たいものを感じて気がついた。部屋の中に寝かされていた。額には冷たいタオルがのっていた。A子とB子がのぞき込んでいた。亜紀子は、おそるおそる彼らの口を見た。いつものようにかわいらしい口元だった。あれは夢だったのだろうか。A子とB子が口々に何か言っていたが、何も耳に入らなかった。黙って帰り支度を始めた。
 外に出たとき、日はもう大きく西に傾いていた。来たときと同じように、強烈な暑さだった。後ろの方から、A子とB子が「じゃあ、また明日ね。」と声をかけてきた。亜紀子は振り返って、小さく頷いた。

終わり

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